私が二胡を始めた話はかなりあちこちで話をしてると思う。中国茶好きからならまちのお店に通うようになって、そこのお店にかかってた手作りの木の看板に「胡弓教室生徒募集」とあって、そこから電話して通うようになったというのが始まり。

でも実はそれを遡ること何年も前に、某文化センターの二胡教室の体験レッスンに行ったことがあったのだ。そのころその某文化センターでイラストを習ってて、同じ場所でやってるのを知ってなんとなく行ってみた。体験は確か5~6人いたかな。お手伝いのお弟子さんも何人かいらしてて、私以外はみんな「習います!」と言ってたように思う。私がなぜそこで習わなかったというと、先生の声が小さくて、グループレッスンだと私の悪い耳では聞こえないなと思ったから。だからといって他に個人レッスンを探すわけでもなく、その時はそこで終わっていたのだった。

その体験レッスンで解放弦がDとAであることを知ったので、「じゃラストエンペラー弾けるやん」と音にならない弓をギコギコして一生懸命左手で弦を押さえてた記憶がある。その時私は確かに「ラストエンペラー」のあの音が二胡だと認識していた。じゃ、私にとって「二胡」を生まれて初めて認識したのはいつなんだろう?

映画「ラストエンペラー」は映画館で見た。清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀をジョン・ローンが演じていた。即位した幼児の溥儀が、蝶々(バッタだったか?)を追いかけて外に出たら、あの故宮の広場にいた人々が一斉にひざまづいてこうべを垂れたあのシーンはよく覚えている。坂本龍一教授の音楽も印象的だった。その後、その坂本教授のアルバムを入れたカセットテープ持っていてよく聴いていた。その中に「ラストエンペラー」が入っていて、おそらくそのアルバムのコメントに「二胡」とあったのだと思う。後でこの時の二胡が姜建華氏の演奏だと知るのはもう少し時間がかかる。おそらくこれが二胡との一番最初の出逢い。まだその形はわからない。

とも みなこ

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