演奏の時、大体楽器の説明をする。「元々は中央アジアで生まれた弦を弓で擦る楽器が、シルクロードを通って西に行ったものが姿を変えてバイオリンになり、東に行ったものが二胡になった。二胡の「二」は見ての通りの弦の数。では「胡」は?昔中国から見て西のことを「胡」と言った。西から入ってきたもの、胡麻・胡椒・胡瓜などに胡の字がつく。西の人のことを胡人とも言った。まさに西から入ってきた2本の弦楽器なので「二胡」になった」ということを時間の関係で短くはしょったり、または追加で二胡の構造について説明したり。

二胡について詳しく書いた本を見ると、唐の時代に弦を弓で擦る楽器があったらしい。その頃は奚琴(けいきん)と呼ばれていた。琵琶や古琴と違って庶民の楽器で、歌に合わせて伴奏される楽器。長らく宮廷で演奏されるような楽器ではなかった。

朝鮮半島で演奏されるヘグム(해금)は漢字で「奚琴」と書き、そのまま「ヘグム」と読む。中央アジアにもヘグムに似た楽器があるそうで、これらは昔の奚琴の姿をとどめているのだろうと思う。

二胡に戻る。二胡を学習している人なら必ずその名前を目にする劉天華。100年ほど前に西洋楽器を嗜み、その他琵琶など中国の楽器にも明るく、それまで庶民の貧しい楽器だった二胡を今の地位に引き上げた、中国音楽の父と言われた人である。彼が二胡をあの大きさにし、調弦をDAに整え、それまで旅芸人がかき鳴らしていた二胡を一般の人たちの前にお披露目したのである。西へ行ったバイオリンは300年前のストラディバリウスが最高峰とされるのに対し、二胡はまだたかだか100年。今も進化を続けている。

日本ではあまりメジャーでなかったものの、やはり2000年ごろの女子十二楽坊の影響が大きい。日本で二胡というと、大体「髪の長いチャイナドレスを着た若い女性がふわ~んと癒しの音を奏でる楽器(ただし女子十二楽坊の「自由」などはふわ~んとはしてないのだが)のイメージがついている。中国ではどうなのか聞いてみると、お金のない貧乏な男子学生がやる楽器なんだそう。今は伝統が見直され、二胡をやっていると進学や就職にも有利になったりするそうで、女子の割合も多くなっている。私が参加した2年前の上海の夏合宿でも、男4:女6ぐらいの割合だった。さらに中国の生活水準が上がるにつれ、大人になってから趣味で二胡を習う人も増えたと聞く。だんだん身近な楽器になってきたんだと思う。

とも みあこ & 二胡
とも みなこ

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